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【父島】第五十号駆潜艇 | IJN Subchaser CH-50 - 水深28m
第五十号駆潜艇は第二十八号型であり、第十三号型駆潜艇の改良型として28号から51号まで計31隻が竣工したが、その多くが戦没した。第五十号駆潜艇も昭和19年7月20日の空襲によって沈められた。写真は艇首の四十口径三年式八糎高角砲、通称8センチ高角砲。
【父島】零式艦上戦闘機五二型乙 | A6M5b - 水深37m
父島の中央に位置する洲崎地区は、かつて日本海軍の飛行場があった場所である。この零戦五二型乙は、その北側に面する二見港の海底37mに眠っている。現地では硫黄島近辺の敵艦隊を攻撃した神風特別攻撃隊第二御盾隊の一機が離陸に失敗し海に墜落したと云われており、 昭和20年2月24日に硫黄島銃撃に発進した二機がこれに該当すると思われる。
【父島】濱江丸 | Hinko Maru - 水深5m
境浦海岸、水深5mに眠る濱江丸。旧満州国の濱江省より名付けられた濱江丸は昭和19年6月12日サイパン方面で空襲を受け損傷、硫黄島経由で小笠原に逃れたが再度の空襲を受けて海岸に擱座、8月4日の空襲によって炎上し放棄された。船体は浅瀬にあり島内の小高い道路などからも形状がはっきりとわかる。このためスノーケルなどで訪れる観光スポットとしても有名である。
【父島】特殊潜航艇甲標的丙型 | Kō-hyōteki class hei-gata - 水深25m
小笠原ではこの特殊潜航艇以外にももう一隻の特殊潜航艇が海底で発見されている(小笠原に進出した甲標的は3隻だが残る1隻は未発見) が、ここで紹介しているのは、第五十号駆潜艇の艦尾側のすぐ近くに眠る特殊潜航艇(甲標的丙型)である。艦首は完全に砂に埋まってしまって見ることはできないが、艦尾方向に向かっていくにつれその姿を徐々に姿を表わし、艦橋、艦尾のスクリュー部分は完全に出ている状態となっている。
【父島】エビ丸 | 詳細不明船 - 水深33m
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【父島】第四号輸送艦 | No1-class landingship No4 - 水深6m
父島、二見湾に眠る一等輸送艦の第四号輸送艦は、兄島に眠る二号の姉妹艦である。本艦も二号と同様に昭和19年8月4日の米機動部隊による小笠原空襲(スカベンジャー作戦)によって被弾沈没、船体は放棄された。写真の四十口径八九式十二糎七高角砲は太平洋戦争時の日本海軍の高角砲としては標準的なものであるが、装填機構に信管調整システムが組み込まれているなど他国の高角砲にはない技術的な特徴もあった。
【父島】非曳航油槽船 | 現地ポイント名・台船 - 水深36m
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【父島】山西丸 | 現地ポイント名・逆沈 - 水深43m
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【父島】大美丸 | Daibi Maru - 水深20m
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【父島】第二號日吉丸 | 現地ポイント名・日吉丸 - 水深20m
二見湾の南、水深20mに眠っているのが江南汽船所属の排水量1237トンの貨物船「日吉丸」太平洋戦争時は特設砲艦として横須賀 防備戦隊に所属して警備や輸送に 従事した。昭和19年6月21日 に父島入港後に触雷のため行動不 能となり、昭和20年2月18日の米艦載機による空襲によって沈没している。尚、同名の大きな船が嫁島の東で沈み、そちらも同じく海軍の徴用船だった関係で海軍では「第二號日吉丸」と呼んだ。
【兄島】第二号輸送艦 | No1-class landingship No2 - 水深3m
滝之浦湾の浅瀬に残るのが第二号輸送艦と推測される艦。一般 に「一等輸送艦」と呼ばれる第一号輸送艦型の二番艦である。父島二見湾で昭和19年8月3日の小笠原空襲(スカベンジャー作戦)に遭遇して被弾、兄島の捕鯨基地があったという場所の目の前の海に擱座し航行不能となり、8月5日に荒天により沈没した。その船体は、水深が浅いことから波など自然の影響を受け、大破して原型を留めていない状態である。
【兄島】昭瑞丸 | 現地ポイント名・中沈 - 水深30m
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【兄島】志摩丸 | 現地ポイント名・深沈 - 水深45m
滝之浦湾の沈没船は父島の二見湾から空襲を避けて避難 していた船団で、昭瑞丸(東和汽船2720t)、志摩丸(大阪商船1987t)、辰栄丸(辰馬汽船1942t)、第八雲洋丸(中村汽船941t)、大功丸 (太洋海運897t)、第5利丸(西大洋漁業 298t)のいずれかと推測される。現地ではその水深から深沈と呼ばれており、船内には多数の弾薬などが見てとれる。志摩丸は1920年竣工の貨物船で水線長82.49m、幅11.89m で、レシプロエンジン900馬力、速力9.5(最大12)kt であった。
【兄島】大功丸 | 現地ポイント名・浅沈 - 水深8m
本船の機関は滝之浦湾沈没船の中で唯一のディーゼルエンジンであり、それと思われる大きな鉄箱やボイラーが見つかったことから1945年7月4日の空襲で沈没した徴用貨物船6隻のうち大功丸であると考えられている。 残骸の様子から「浅沈」は船底を下に正立して着底したと思われるので、沈没直後は船体上部やマストは海面上にあった可能性が高い。それが波浪によるストレスと腐食によって船体が崩壊し部材の多くも砂に埋れたり、流出した結果、現在のような姿になったと思われる。
【兄島】辰榮丸 | 現地ポイント名・バラ沈 - 水深18m
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【兄島】第八雲洋丸 | 現地ポイント名・横沈 - 水深20m
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【母島】第二西海丸 | No,2 Saikai Maru - 水深20m
母島の水深約20mに眠る、「第二西海丸(さいかいまる)」現地では、その場所から「蓬莱根沈船」や「第二二西海丸」という名前で呼ば れている一方で、後者の「第二二西海丸」という名前及び記録は存在せず、「第二西海丸」で間違いないだろう。第二西海丸は戦時標準船1F 型として昭和18年10月に竣工、当初は海軍徴 用船であったが昭和19年6月に陸軍徴用船陸軍徴用船として活躍したが、昭和20年1月の小笠原空襲で沈没した。
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