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濱江丸 | 海面に露出する機関室のエンジン
境浦海岸、水深5mに眠る濱江丸。旧満州国の濱江省より名付けられた濱江丸は昭和19年6月12日サイパン方面で空襲を受け損傷、硫黄島経由で小笠原に逃れたが再度の空襲を受けて海岸に擱座、8月4日の空襲によって炎上し放棄された。船体は浅瀬にあり島内の小高い道路などからも形状がはっきりとわかる。このためスノーケルなどで訪れる観光スポットとしても有名である。


濱江丸 | マスト
本船は大連汽船を船主とし て建造された5000総トン級の貨物船である。鉱石等のバラ積み輸送が主目的のため船尾機関式の設計が採用されたが、このために戦時標準船の1TM型タンカーの設計の参考にされたとも言われる。濱江丸は船体前後に二本のマストを持ち、中央に門型ポストを持つ船型であった。マスト自体は原型を留めており、ラッタルや滑車なども残っている。


濱江丸 | 船首
浅瀬にある分、風や波の影響を受け易く、経年劣化が激しく過去の写真と比較すると、海面に露出している部分が徐々に失われてきている。写真は船首部分だが、散乱する艤装品の位置関係などもよくわかる。船首先端部以外、ほぼ船体は失われている一方で、艤装品はよく形を留めている。


濱江丸 | 船首
船主を別角度から見ると、傾いて半ば埋もれているが、海底付近に錨鎖を引きこむベルマウスが見える。本来はあるはずの主錨は確認できないが、これは擱座した時に投錨されていた可能性もある。(海底のレクイエム70:小笠原の濱江丸より)
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