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第二西海丸 | 船尾
母島の水深約20mに眠る、「第二西海丸(さいかいまる)」現地では、その場所から「蓬莱根沈船」や「第二二西海丸」という名前で呼ば れている一方で、後者の「第二二西海丸」という名前及び記録は存在せず、「第二西海丸」で間違いないだろう。第二西海丸は戦時標準船1F 型として昭和18年10月に竣工、当初は海軍徴 用船であったが昭和19年6月に陸軍徴用船陸軍徴用船として活躍したが、昭和20年1月の小笠原空襲で沈没した。


第二西海丸 | 切断された船体
左側が船首、右側が船尾であ る。水深が浅いために波浪の影響を受け、船体上部は崩壊して跡形もない。現存している船体は中甲板レベル以下の部分だけのようで、残骸からわかるのは 船尾機関形式の貨物船ということくらいだろう。「第二西海丸」 として比定されているのは1F型戦時標準船という形式と喪失 状況の一致のためである。


第二西海丸 | 船首
千切れた状態で横倒し になってしまっている船首。奥側が先端。空間となっている船体内部はキンメモドキなどお魚の住処となっている。船首の傍らに見える太い円柱状のものは、おそらく倒壊したマストだろう。


第二西海丸 | トイレ
二つ並んで残るトイ レの便器。本来は船内で あるはずだが、上の階層がきれいに失われているためにこのような状態となっている 。「第二西海丸」は船尾に機関室をもち、その前方に船橋や船 室がある設計であった。( 海底のレクイエム95:母島の戦時標準船「第二西海丸」より)
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